オランダ 花の絵画の秘密
花生産から花卉画を誕生させたオランダ人
1世紀に遥か北に位置する砂丘と砂浜からなる、
およそ人が住める場所とは言えないところを訪れたローマ人は、
そこでたくましく暮らす「バタヴィア人」の様子を記しています。
このバタヴィア人こそ、現在のオランダ人の祖先です。
彼らはこの過酷な地を離れるどころか
厳しい環境下で勤勉に働き、
創意工夫を凝らして
現在のオランダを築き上げたのです。
人々は土木技術に磨きをかけ、
堤防を築き、砂地を野原に変え、
風車を開発して丘陵地ゆえの強風をエネルギーとして味方につけ
「たいていの国土は神によって創造されたが
オランダの国土は人によって創造された」
の格言どおりの国を作り上げたのです。
国土改造が進むにつれ、15世紀以降オランダ人は
海に慣れ親しんだ民の特権を生かして
船舶を利用した交易に従事していきます。
他国からの商品が商都アムステルダムに集まり、
そこを経由して別の国々へと売られてゆく、
流通による近代ビジネスモデルの誕生です。
こうした経済モデルによってオランダ人は
食料品のほとんどを外国産のもので賄ったため、
懸命に作り上げてきた農地で
食料品以外のものを育てることを思いつきます。
食料以外の生産物とは他ならぬ「花」だったのです。
ルネッサンスや宗教改革の余波を受け、
花は儀礼用のものから徐々に観賞用のものへと
その用途が変化していきました。
オランダは16世紀には本格的に農地を花卉栽培のために開放し、
豪商らは切り花を楽しみのために住宅に飾り始めました。
チューリップを愛するがゆえに、
その値をつり上げて経済危機を引き起こしたオランダ人は
やがて切り花だけでは飽き足らず、腕利きの画家らに
さまざまな花をカンバスいっぱいに描かせるようになります。
観賞用の花の絵、
いわゆる花卉画の誕生です。
18世紀までの花卉画には
見て楽しむ要素と、
読み解いて自らを戒める要素とが混在しています。
描かれたチューリップは虚栄を、赤いバラは愛を、
オダマキは信仰を、クロッカスは再生を、スイセンは自惚れを
それぞれ象徴的に意味することもありました。
美を堪能しながらも、自分を戒めながらの勤勉さを忘れない
真面目なオランダ人らしい気質が、
今も数々の美しい花卉画から発散されているのです。
text / 月刊フローリスト イラスト/高橋ユミ
語る人
名前:川崎景介 Keisuke Kawasaki
プロフィール:花文化研究者。マミフラワーデザインスクール校長。米国アイオワ州グレイスランド大学にて史学を専攻し卒業。フラワーデザイナーの養成機関等で教鞭をとり、スクールでは考花学のクラスを持つ。執筆活動や全国での講演活動に従事するかたわら、日本のみならず世界各国の花文化を独自の視点で研究し、フローラルアートの啓蒙に努めている。日本民族藝術学会員。
http://www.mamifds.co.jp
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この記事のライター
花文化研究者。マミフラワーデザインスクール校長。米国アイオワ州グレイスランド大学にて史学を専攻し卒業。フラワーデザイナーの養成機関等で教鞭をとり、スクールでは考花学のクラスを持つ。執筆活動や全国での講演活動に従事するかたわら、日本のみならず世界各国の花文化を独自の視点で研究し、フローラルアートの啓蒙に努めている。日本民族藝術学会員。