バラ物語
出会いと挑戦の歴史。
イギリス人やフランス人に
「花といえばどんな花を思い浮かべますか」と質問すれば
大半はバラと答えるのだと言います。
そんな重大な花の歴史をたった一回のコラムにまとめることは到底叶わぬことと思いつつ、
この花の歩みを語らずにはいられません。
古代ギリシャのいにしえより西洋では花はその美しさのみならず、
それが放つ芳香が重視されてきました。
地中海原産のバラは豊かな香りで人々を魅了し、
加えてその美しさが絶えず称賛されてきた数少ない花のひとつ。
美の女神アフロディーテの美しさと女性らしさを象徴する花として
高貴な人々の憧れの的となり、
かのクレオパトラにもその香り故に愛されたのです。
この頃のバラは地中海沿岸原産のガリカ種、ダマスク種、フェティダ種など
いわゆるオールドローズと呼ばれるもので
春から夏にかけて咲く一季咲きのものでした。
そのため、それらの希少価値も極めて高かったわけです。
16世紀にはオランダからダマスク種とアルバ種を掛け合わせてできた
センティフォリア種が発表されてオールドローズに加えられましたが、
それほど早くから人々は貪欲により美しくより香しいバラを追い求めていたのです。
キリスト教が大きな影響力を持った中世ヨーロッパでは
古代ギリシャ人やローマ人の一種崇拝にも似たバラに対する愛好心が非難され、
歴史の裏へと追いやられたと思いきや、
7世紀ごろに定着したマリア信仰によって
バラは聖母を象徴する花のひとつとして再び頭角を現し始めます。
アフロディーテとマリアのイメージが
人々の心の中で重なったことが大きかったのかもしれません。
18世紀になるとバラは高貴な女性をイメージさせる花として
一世を風靡することになります。
フランス最後の王妃マリー・アントワネットも熱烈なバラ愛好家として知られていましたし、
ナポレオンの皇后ジョゼフィーヌもバラの栽培に余念がなかったといいます。
特にジョゼフィーヌはマルメゾンの屋敷にバラ園を作らせ、
当時ヨーロッパにある限りの種類のバラをここに集めたのです。
これが19世紀における育種家の情熱に火をつけ、
さらに遠方から新しいバラが求められ、
品種改良が進みました。
インド洋に浮かぶレユニオン島でダマスク種と中国原産で四季咲きのコウシンバラとが出合い、
それらの交配が基になって今存在する多くのバラが生まれました。
出合いと挑戦の歴史、それがバラの歴史なのです。
語る人
名前:川崎景介 Keisuke Kawasaki
プロフィール:花文化研究者。マミフラワーデザインスクール校長。米国アイオワ州グレイスランド大学にて史学を専攻し卒業。フラワーデザイナーの養成機関等で教鞭をとり、スクールでは考花学のクラスを持つ。執筆活動や全国での講演活動に従事するかたわら、日本のみならず世界各国の花文化を独自の視点で研究し、フローラルアートの啓蒙に努めている。日本民族藝術学会員。
http://www.mamifds.co.jp
text 月刊フローリスト イラスト/高橋ユミ
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この記事のライター
花文化研究者。マミフラワーデザインスクール校長。米国アイオワ州グレイスランド大学にて史学を専攻し卒業。フラワーデザイナーの養成機関等で教鞭をとり、スクールでは考花学のクラスを持つ。執筆活動や全国での講演活動に従事するかたわら、日本のみならず世界各国の花文化を独自の視点で研究し、フローラルアートの啓蒙に努めている。日本民族藝術学会員。