川崎 景介 川崎 景介 82ヶ月前

花と日本人の肖像 菅原道真

菅原道真 ウメを愛でた天才 (845~903)

福岡を訪れたおり、どうしても立ち寄りたい場所が太宰府天満宮です。
ここに祭られている祭神は平安時代の政治家、菅原道真で、
彼ゆかりのウメの木が本殿横にご神木として残っています。
天神様として名高い道真と彼が愛したウメの背景には悲しい物語があったのです。
 

幼少のころから学問の才能を発揮した道真は、
齢5歳で和歌を詠みます。また幼きころから漢詩にも優れ、
「月夜見梅花 月燿如晴雪 梅花似照星 可憐金鏡転 庭上玉房馨」
(今宵、月の明りは雪に日の光があたったように明るく、
そこに咲くウメの花はきらきらと輝く星のようで、本当に素晴らしい。
空から月が照らすこの庭にはウメの花のよき香りが満ちている)
とこのころからすでにウメがことのほかお気に入りだったようです。
 

学問に励んだ道真は
当時の学者としては最高位の文もん章じょう博はかせ士の称号を得て、
名を馳せます。
その博識を宇多天皇に認められて側近の一人となり、
隣国である唐の衰退を理由に遣唐使の廃止を進言し、
これを認められます。
このことが後に日本ならではの文化の発達を促したという点で
道真は我が国の歴史に大きな影響を及ぼした人でした。
 

国政のカギを握る右大臣に就任し、
ますます活躍する道真に不幸が訪れます。
彼の才能を疎んだ左大臣、藤原時平の策略により汚名を着せられた道真は
キャリアの半ばで九州の太宰府に左遷されてしまうのです。
大好きな都を離れ、慣れない土地にやってきた彼は
庭に残してきたウメの木を懐かしみます。
 

東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ

「春風が吹いたらウメの花よ匂いなさい、主がいなくても春を忘れないでおくれ」
という意味のこの歌は道半ばで都を追われた
天才の悲しみを感じさせて切なさが極まります。
 

こんな伝説があります。
道真が都を追われたとき、彼が愛でた庭木のうち、
サクラは悲しみのあまり枯れてしまい、
マツは主を追ったのですが途中で力尽き、
ウメだけがたった一夜で大宰府まで飛んでいったという話。
この飛梅伝説のウメが太宰府天満宮のご神木というわけです。
 

失意のうちに太宰府で生涯を閉じた道真。
その後、彼を学問の神として崇める信仰がおこり、
全国の天神社は多くが彼のための社です。
これらの神社には必ずといっていいほどウメの木が植えられており、
今も春の訪れを感じさせる風物詩となっています。
春を知らせるウメの花とともに悲劇の天才の伝説は末永く語り継がれることでしょう。
 
 
語る人
川崎景介 Keisuke Kawasaki 
プロフィール:花文化研究者。マミフラワーデザインスクール校長。米国アイオワ州グレイスランド大学にて史学を専攻し卒業。フラワーデザイナーの養成機関等で教鞭をとり、スクールでは考花学のクラスを持つ。執筆活動や全国での講演活動に従事するかたわら、日本のみならず世界各国の花文化を独自の視点で研究し、フローラルアートの啓蒙に努めている。日本民族藝術学会員。
 
http://www.mamifds.co.jp
 
イラスト/高橋ユミ

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川崎 景介
川崎 景介

花文化研究者。マミフラワーデザインスクール校長。米国アイオワ州グレイスランド大学にて史学を専攻し卒業。フラワーデザイナーの養成機関等で教鞭をとり、スクールでは考花学のクラスを持つ。執筆活動や全国での講演活動に従事するかたわら、日本のみならず世界各国の花文化を独自の視点で研究し、フローラルアートの啓蒙に努めている。日本民族藝術学会員。

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