花と日本人の肖像 白洲正子
白洲正子 花を愛した歌人とともに(1910~1998)
母がどうしても行きたいというので訪れた場所があります。
それは町田市にある武相荘(ぶあいそう)なる一軒家。
戦後の激動の時代を駆け抜けた実業家の白洲次郎の妻で
随筆家の白洲正子の生前の住まいです。
「すてきねぇ」と家を見回す母のあとについて回った私は
庭に置かれた次郎氏のスポーツカーと端正なたたずまいの日本家屋とのギャップに驚きつつ、
「なんてモダンな」と白洲夫妻の色褪せない最先端の生きざまに憧れを抱いたものです。
幼少のころから能の手ほどきをうけたという正子。
それゆえに『徒然草』、『枕草子』、『源氏物語』などに親しみ、
文学者としての素養を育みました。
米国の大学を卒業し、国際人として帰国した正子は
数多くの文化人や芸術家との交流を通して、
独自の感性に磨きをかけました。
その研ぎ澄まされた感性と美学を持って古典文学を独自の視点で解釈することが
彼女のライフワークの一つとなりました。
古典中の古典である『万葉集』の中で正子が自ら好きな歌に挙げているものがあります。
石(いは)ばしる垂たる水みの上のさ蕨(わらび)の
萌えいづる春になりにけるかも
志貴皇子(しきのみこ)
これは「勢いよくほとばしる滝の近くにワラビが萌え出ているな、
春がやってきたのだ」といった意味で、
正子はこの歌の素晴らしさに半ばはしゃいでいます。
著作『花にもの思う春』から彼女自身の言葉を引用します。
「春だ、春が来たのだ、-そういう感動がいきいきと伝わって来る。
ただそれだけのことなのだが、いっきに謳いあげた淀みのない調べには、
爽やかな水音と、しのびよる春の気配が聞こえて来るようで、
やっとめぐって来た陽光のおとずれを、
天地をあげて謳歌している感じがする。
いわゆる万葉調の中でも、これほど勢がよく、しかもゆったとしていて、
生れ出づるいのちの美しさを讃えた歌は少ないと思う。」
短い歌にこれほどまでに細かい洞察と、
いきいきとした感想を捧げた人を私はまだ知りません。
小さなワラビに「生まれ出づるいのちの美しさ」を実感した正子に志貴皇子も
「そうそう、よくぞわかってくれた!」と同調してくれそうです。
花とそれを題材とした歌人をこよなく愛した白洲正子。
そんな思いが彼女をサクラの歌人、西行の研究に生涯をかけて没頭させるのです。
スポーツカーと日本家屋、米国留学と日本文学研究。
様々なものの魅力を受け止め、独自の観賞力を研ぎ澄ませていった白洲正子。
花を愛する人は多々あれど、
花を愛する人を愛した彼女の独自性は決して色褪せません。
語る人
川崎景介 Keisuke Kawasaki
花文化研究者。マミフラワーデザインスクール校長。米国アイオワ州グレイスランド大学にて史学を専攻し卒業。フラワーデザイナーの養成機関等で教鞭をとり、スクールでは考花学のクラスを持つ。執筆活動や全国での講演活動に従事するかたわら、日本のみならず世界各国の花文化を独自の視点で研究し、フローラルアートの啓蒙に努めている。日本民族藝術学会員。
http://www.mamifds.co.jp
イラスト/高橋ユミ
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この記事のライター
花文化研究者。マミフラワーデザインスクール校長。米国アイオワ州グレイスランド大学にて史学を専攻し卒業。フラワーデザイナーの養成機関等で教鞭をとり、スクールでは考花学のクラスを持つ。執筆活動や全国での講演活動に従事するかたわら、日本のみならず世界各国の花文化を独自の視点で研究し、フローラルアートの啓蒙に努めている。日本民族藝術学会員。